12/28/2024

しくった。しくって良かった。もしくは、しくって終わった。

 12/28/2024







どうだろか。

わからない。


しくったことは確かだけど、それで良かったかもねとも思っている。

なるべくしてなった。起こるべくして起こった。そんな感じか。


この先どうなるのだろう。

わからない。


良いように向かうといいなとは思うがそれは難しいかも。

肝心なことには何も触れず、このままおざなりになるかも。




しくった。

しくって良かった。

もしくは

しくって終わった。








8/23/2021

母親失格

 08/07/2021










数日前、無事に帰国。
帰国、というのは、この国に帰って来た、という意味だ。
何ヶ月か前に、「帰国することにした!」と宣言したときのは、当然ながら自分の国、日本に帰ることになった、という意味で、でもこうして、住んでいる国、米国に帰ってきた、というワケ。
わざわざどうしてこんなことを書くのかと言うと、年々、「帰国」という言葉が自分の中で曖昧になってきている感じがするから。
日本に帰ることも、こちらに戻ってくることも、今ではもうほぼ同等に感じている不思議。
どうするよ、自分。


辻仁成氏の日記をいつも読んでいる。ということは以前にも何度か書いた。
日本にいる間も、まぁそれなりに読んでいた。
何がそんなに・・と自問すると、彼と息子の関係に、自分自身と娘を重ねて見ているせいだろうな・・と、思った。息子だし、男親だし、あちらは(ある時から)シングルファザーだから、わたしたちの関係とはちょっと違う。
でも、海外で子育てをしているということ、親が完璧な現地語(彼の場合は仏語、わたしの場合は英語)を話せないということ、が同じ。
そう、言ってみれば、親として非常に「情けない」ところが似ているのだ。


少し前、「父親失格」というタイトルの日記があった。
心が痛む。わかるよ、、、と思う。わーかーるー。なんて軽い感じではなく。
重い。
非常に、重い。
タイムリーな内容であった。


帰国前、娘と衝突した。
ここ数年、よく衝突している。
彼女が成長している証しだ。
親として、耳が痛い。核心を突いている。返す言葉もない。
でも、こちらも黙っていられなくなり言い合いになる。話し合いではなく、言い合い。
嫌だねー。本当に嫌だ。

本音の言い合い、なのかどうか?こうして後から考えると、わからなくなる。
感情に任せての言葉が本心とは限らない。
それは娘もわかっていることだろう。

わたしがもっと大人になれたら、と思う。

情けないわたしは、このとき、夫にSOSを送った。
夫は娘に電話をし、彼女の言い分を聞いてくれた。らしい。

その後、わたしたち母娘は、ぎこちなくも、なんとなく「仲直り」をした。
彼女にはまだまだわたしに対する「わだかまり」があって、それはずっと消えることはないだろう。
でも、だからと言って「喧嘩別れ」になってしまっては、お互い後悔するだろう。






・・・

というところで終わっている。
中途半端な独り言。もう2週間以上前のものだ。
なんとなくだけど、ここに残しておくことにする。
















12/21/2020

ドレミの歌

 







ドーナツの

レコードから

みんなの

ファンファーレ

空高く

ららら響けば

しあわせが

どこからか


どうしたの

白い世界

ランプの灯り

そっと揺れて

ファンタジー

見つめてる

ハレルヤ

どこまでも





知ってる人いるかな?

ドレミファソラシド、ドシラソファミレドのメロディーの歌


この時季になるといつも思い出しては歌っている









12/17/2020

grief

 







Bevoが階下のドアの前で待つようになった。でも鳴かない。吠えない。わたしが来てドアを開けるまでじっと待っている。CosmoやDeweyとはそこが違う。Speak upしない。でも、これまではドアの前にも来なかった。わからなかったのか、それとも期待することを知らなかったのか、よくわからない。


他にBevoに起きた新しいこと。Frisbeeに興味を示した。散歩の時にわたしのオーダーに従おうとする。否、従う。まだ完全じゃない。でも、わたしが止まるとびぃ坊も止まる。そして、わたしのところに来る。この2,3日でほぼ確信できた。Bevoはもの凄い集中で学習している。


もっと大事なことがあった。2日前、Bevoが窓に駆け寄って吠えた。Backyardにりすでも見つけたのだろう。以前はよくCosmoと一緒になって吠えていた。でも、Cosmoが虹の橋に行ってから、Bevoはそれをしなくなった。窓に近付かない。いや、窓から外を見ても、何も見ていなかった。或いは、見えていなかった。Bevoはかなり大人しくなった。鳴かない。吠えない。要求しない。


Bevoは悼んでいたのだと思う。Cosmoがいなくなって、ずっと。そして、見送ったのだ。BevoはCosmoにさよならしたのかもしれない。



そんなBevoを見ていたら、なんだよくよくよしてんじゃないよ、と思った。へなちょこになってる場合じゃないだろが、と思った。

Bevoを見ていて、そう思った。










12/16/2020

無題

 





家の中いたるところにDeweyとCosmoがいる。

買い溜めしたCosequinはデューちゃんのためだった。2年くらい前からコジにもあげ始めた。そしてデューちゃんが逝ってからはコジのために使った。毎日、食餌に混ぜて、いつまでも元気でいてね、と話した。

Dog bootsも何足もある。デューイは後脚が悪かったからもう何年も履かせていた。コジは冬の間、雪が深い時や凍っている時に履かせた。デューちゃんがいなくなってからは、デューイのブーツをBevoに履かせた。びぃ坊は初めての体験に戸惑ってはいたけれど、難なく履いてくれた。あまりにも自然で、まるでデューちゃんが戻ってきたようだった。BevoとDeweyの色はてんで違うのに、それでもびぃちゃんはデューイの面影を見せてくれた。日に日にそれは増していった。デューちゃんを亡くした悲しみはびぃちゃんの無垢な魂が癒してくれた。


Rose waterのボトル、Golden raisinsの袋、Detergent、何もかも開ける度、使い始めるたびに月日を書き込む癖が悔やまれる。あぁこの日まだCosmoは元気だった、まだ生きていた、、、そんなことばかり思う。なんで気付かなかった、なんでもっと見てあげなかった、なんでなんで、とばかり思う。



辛い時も苦しい時も悲しみの中にある時も書くのだ、と某作家は言った。それが作家たるものだ、と。書くことで立ち向かえる、だったと思う。わたしはもちろん作家なんかじゃない。悲しかったことを思い出したくない。家中のあちこちにあるD&Cの小さな面影にさえ顔を背けたくなるへなちょこだ。


11月27日はPookieの誕生日だった。お願いぷーちゃん、まだ連れて行かないで、と祈った。27日はぷーちゃんの誕生日のままでいさせて、と祈った。













12/15/2020

good husband

 






昨夕、夫が帰宅した。5日ぶりくらいか。

帰宅するなり、彼は洗濯を始めた。わたしは夕飯の支度をしていた。仕事の作業着などが主で、大した量ではなかった。そのうち、washing cycle終了のブザーが鳴り、作業用パンツやhoodie sweaterが階下に向かう柵のところにかけられた。いつものことで、夫は乾燥機を嫌う。縮むのを防ぐため、らしい。家中あちこちに洗濯物を吊るされるのは正直あまり好きではないけれど、まぁいい。ダイニングチェアーの背もたれにそれぞれかけられた時にはいささか辟易するが、命に関わることでもなし、目を瞑っている。


大きなものを干し終えた夫は、寝室に行き、ちょっとよれたbounce(dryer sheet)1枚を携えて出て来た。ん?なんだ? と、思う間もなく、夫はそのよれたシートをドライヤーに放り込んで乾燥を開始した。乾燥機には下着と靴下、バスタオル1枚程度のほんの少量である。あ、、、、、思わず、笑いがこみあがった。が、笑わない。ぐっと我慢した。夫はそんなわたしを横目に、リビングへ戻りリクライナーに腰かけTVを見始めた。


だだだだだーーーだからか!!!だから、だったのかーーーー!!と、心の中で叫ぶ。ばらばらのパズルがピタッとおさまった感。その瞬間、笑いを抑えきれなくなった。ひひひひひひひひひひ、最初は声を殺しながら、そのうちたまならくなって声を出して笑った。それからその場に座り込んで、ゲラゲラと笑った。笑っても笑っても止まらない。とにかく、笑った。長い間、笑った。こんなに笑ったのは、コジが逝ってから、初めてだ。コズモ、あなたのダディは本当におかしいね。


夫のdrawersの最上段は下着と靴下が入っている。彼は自分の洗濯を自分でするのだが、仕事で出来なくなった時にはわたしがしている。わたしの衣類の畳み方と彼のそれとは少し違っていて、それらが混ざった状態。そんな中、左端のほうに何枚かのdryer sheetsが入っているのは随分前から知っていた。なんでこんなものを?とも思ったが、香りつけか???と思う程度で、そのままにしていた。たまに、こんな何枚も入れておく必要があるのか?とも思ったが、わたしのものじゃなし、気にはしなかった。


あれか!!と、思った。夫は、あのシートを使い回していたのだ。まさか!と信じられなかったけれど、そうに違いない。香りつけなんかじゃなかった。ゴミ箱に捨てるのを面倒臭がっていたわけでもなかった。「取っておいた」のだ。「保管」していたのだ。妻に捨てられぬように。


以前、わたしが(自分の洗濯をしていた際)乾燥機にシートを入れ忘れたことがあった。普段2枚は入れてるのに、なぜに忘れたのか???乾燥機から取り出すときの静電気が激しくて気付いたのだが、わたしがぶつぶつ言ってたのが聞こえたらしい夫が、今から1枚入れて10分くらいサイクル回せば静電気が取れるよ、と言う。おおお!あなたはなんて頭が良いのー!お礼を言いながら、早速シートを1枚入れて10分でスタートさせた。らば夫が「ちょっと待って」と言った。が、もうスタートさせていたのを見ると「あ、いい。なんでもない。」と言った。あのとき、何?と思ったが、別に気にもしなかった。10分後、しっかりと静電気が取れたふわふわの状態で完了し、わたしは"It worked!"と大喜びで夫に再度お礼を言った。夫は"That's good."と言っていた。

あのとき、夫は古いシートをわたしに持ってこようとしたのだろう。たったの10分、静電気を取るために最適なシート。もちろんわたしはそんなことは知らない、知らなかった。


パズルが合わさった。それがおかしくて、笑った。なんてことだ。わたしがいつも2枚使っている中、彼はシートを使い回していた。多分彼はわたしが2枚使っているのを知らない。と、思う。知ったら、どう思うのだろう。呆れるか?憤るか???

笑ってくれ、と願う。笑い飛ばしてくれ。あなたには無駄なことかもしれないけど、わたしにはあなたのその不可解な行動が無駄だと思う。でも、おかしい。おかしい、でいいじゃないか。まったくもっておかしい。あっちがこうでこっちがこう。節約と無駄とでバランス上等。




夫よ、You are a good husband. (good husbandという言葉には「締まり屋」という意味があるらしい。わはははは。)







12/09/2020

どっちもどっち

 






思いがけず夫の帰宅が早まった、と連絡が入った。何か買ってくるものはあるか、と訊かれたので、特にないと答える。が、夕飯のために何かピックアップしようか、と言う。まだ作ってはいないけれどと準備はしていると返すと、チキンを買おうかと思っていたと言う。そういうことならsounds good, thanks.とお願いした。夫の中ではもう決まっていたことなのだ。それならそれで良い、助かります。


何か言いたいことがあるのだろうと思っていたら案の定。レスキュー担当の女性に電話をすることになっていると言う。「明日、Bevoとマッチングテストをして・・」と言うので慌てて遮った。ちょっと待って、考えさせて欲しいって、わたし言ったよね?

夫の中ではもう決まっていたことなのだ。でもこのことに関してはそう安易に「それならそれで良い」とは言えない。険悪なムードになった。I understand, と口にしていたが、いーや、あんたはなーんもわかっちゃいない、わかるもんですか。


結果から言うと、明日の「マッチング」は先延ばしとなった。今週は無理そうです、早くても来週に、と言っていた。そうなのか、来週に連れて行くんですか、と思う。その後、夫と少し話をした。わたしにまだ心の準備が出来ていないことをあらためて伝えた。Cosmoが逝ってしまってから、本当はまだ心の整理はついていない。ずっと整理はつかないのかもしれない。でも、まだ、そういう気持ちにはなれない。なりたくない。


Deweyが逝ってしまって、割と早いうちにBevoを迎え入れた。あの時はなぜかすぐに決心出来た。Cosmoのためにも必要だと思えた。でも今回は違う。Bevoに必要なのは、わたしたちとの時間だ。彼はまだ学習の途中なのだ。新しい犬を迎え入れるのはその先で良いのではないか。

あなたはBevoのためにって言ってたけど違うと思う、あなたはあなたのために新しい犬が欲しいのよ。

夫はその言葉に傷ついたようだった。半分は当たっているのかもしれない。でも、Bevoにとって良い犬を探したつもりだ、それは本当だ、Bevoを一番に考えて探した、と言っていた。紹介された犬は確かにそうだった。この子なら、と思った。でも、どこか踏み切れない。




夫はその後、Bevoを連れて散歩へ出かけた。散歩はもう済んでいたけれど、歩きたかったのだろう。歩きながら、考えたかったのだろう。


夫の落胆ぶりを見ているとこちらまで辛くなる。夫の中ではもう決まっていたことなのだ。それをわたしが覆したのだ、という気分になる。もういいよ、好きにすればいいよ、と口にしてしまった。が、夫もわたしの気持ちが痛いほどわかるようだ。いや、君がそういう気持ちじゃないのなら仕方がない、と言っていた。もしかしたら夫の中でもまだ決まっていたことではなかったのかもしれない。わたしの後押しを待っていただけなのかもしれない。



夫の買ってきたchicken tenders、いつもみたいに美味しく感じられなかった。







12/03/2020

11月のクリスマス

 






今年のクリスマスデコレーションは、かなり早いうちに始めた。

いつだったかと言うと、11月7日。

いつもならどんなに早くてもわたしの誕生日が過ぎてから。なので1週間は早い。その理由は簡単。何かしたかった。身体を頭を動かしたかった。そして、出来るだけ明るくしたかった。コズモが帰ってきたときのために。そして、ホントの本当の気持ちを白状してしまうと、コズモが帰ってくる前に出来るだけのことをしておきたかった。もしかしたらそんな気持ちにならないかもしれない、と思った。そして、そういう予感を拭いながら、デコレーションに励んだ。クリスマスメドレーをBGMにして。




暖炉の上にNativity Setを飾った。ツリーを立てるのにカウチの位置を少し変えた。コズモがいつも駆けてっては眺める窓のところ。ここだとコズモは困るだろうか。


去年はクリスマスのお祝いをした2日後にデューちゃんが逝ってしまった。あれからまだ1年も経っていない。コーちゃん、ダメだよ。まだです。デューイ、まだコズモを連れてかないで。お願いだよ。


11月のクリスマス。かき乱される心を抱きしめながら過ごした。










11/01/2020

m

 






Halloweenの日に姪っ子からHalloweenカードが届いた。奇跡。


姪っ子には、思うことがあってカードを出していた。1ヶ月くらい前のことだ。

それは彼女のもとに無事に届いていたらしい、カードありがとう、と書かれていた。あの頃は落ち込んでいたみたいだけど、今回の文面からは明るいエネルギーを感じた。しっかりと前を向いて歩いている様子。なんだかんだ言って、彼女ももうれっきとした大人だ。


姪っ子とは気が合う。というか、彼女がわたしに合わせてくれているのかもしれない。一緒にいて心地良いし、あまり気をつかうこともない。向こうはどうかわからないけれど。そう言えば、いつだったか、ずっと前にこちらに遊びに来てくれた時のことを「これまで旅行した中で全くストレスを感じない旅だった」と評してくれたことがあって、それを聞いてもうおばちゃんは有頂天よ。心をくすぐる言葉を知っている。本心だと思うけど、お世辞でも嬉しい。


姪っ子とはそんな感じなのに、娘とはまた違う感じだ。もちろん、娘のことは心から愛しているし(当然のことだ)常に気にかけている。娘とは数え切れないくらい喧嘩して、数えきれるくらいの大喧嘩もした。昔は仲良しだと思っていたけれど、まぁ思春期くらいから色々あった。正直な話、自分はあまり良い母親ではなかったと思うことも多く、でもそんなこと言ったからってどうにもならないことも分かっている。以前、姉から、わたしは「子離れ」出来ていないと言われた。そのとき姉は、わたしの娘のことも「母離れ」出来てない、と言って笑っていた。それでますます、わたしは毒親だったのか、、、と思った。娘は毒親の支配から逃れられずにいるのか、とか。悲劇の主人公かいな。


それでも血の繋がりというものは濃く、簡単に切れるものではない。わたしは「心がけて」娘に干渉しないようにしていて、彼女の良いように、彼女が自分で決めて自分で進めるように、と思っている。という時点で、かなり気を遣っているのだなぁ、、、と、姪っ子のことを思いながら、考えた。


そう言えば娘は、わたしと姪っ子との関係に、少しばかりのジェラシーを感じているような気がする。気のせいかもしれない。でも、当たらずも遠からず。だと思う。ということは、わたしが娘に対して姪っ子に対するような気持ちになれば、もっとうまく行くのではないだろか???なんてことを思ったりもした。これはかなり浅はかな、馬鹿馬鹿しい考えだ。姪っ子だからこそ、心地良い距離があるのだろうし、娘だからこそ、どうしても近過ぎたりするのかもしれない。


辻仁成氏のブログを読んでいると、息子くんが自分の娘に重なる。期待しないで、というのと、期待しなさ過ぎ、というくだり。

わかるよわかる!!と、心の中で叫んでしまった。

でも、娘は17歳ではない。立派な大人だ。だから、辻さんとこの父息子とは違うのだ。




ふむ。何を書きたかったのか、わからなくなった。









10/22/2020

毒を入れる

 






老いのいいところは、少しずつではあるが自分が社会から免責されていくような気分になれるところだ。

・・・・中略・・・・

他人に求められなくとも、自分のうちから湧いてくる生きる歓びをどこまでもっていられるか、それが私にとっての老いの課題かもしれない。


谷川俊太郎氏の「ひとり暮らし」を読み終えた。

あとがきが2001年になっていて、2009年に文庫版へのあとがきが加えられている。ということはもう既に20年近く前のものだ。

谷川氏はこの本の中で既に「老い」という言葉を使っているけれど、今はもう本当のほんとうに、おじいさん、になっているのだろう。まだひとり暮らしをされているのかな・・・と思って調べてみたら、去年の12月に(令和元年と書かれているからそうなのだろう)詩集を出していた。早速、Bibliaアプリの読みたい本リストに入れておいた。


その中で、

詩というのは基本的にきれいごとを書くものなんだけど、でもやっぱりその中に毒を入れなきゃいけない、みたいなのがありますね

というのがあって、ハッとした。


この記事によると、彼は生きる歓びをまだまだもっているのがわかる。






10/20/2020

鈍感であれ

 







お〜こわいこわい



と言われたときにちょっと傷付いた。

自分のことを言われたわけではないし所有物でもなんでもないのだから傷つく必要はないのになぁ。まだはがれていないってことか。




悪意がある


と言われて傷付いた。

悪意なんかありません。でもそう感じたのならごめんなさい。と返すと、それ謝ってないよねと駄目押しされた。そんなことないんですけどね。文字だけで伝えるというのはなかなかですな。



しかし自分よ


いちいちいちいち傷付くこともなかろうよ。

相手の感じたこととか考えてることとか、そんなのどうにも出来んだろう。どうにかしようと思うのもちゃんちゃらおかしい。いいじゃないの、こわいこわい。いいじゃないの、悪意。



もっと鈍感であれ。

何もかも感じ過ぎ。否、考え過ぎ。










2/17/2019

また、雪







除雪作業を終えた頃からまた雪が降り出した。
ザラザラと氷混じりの雪だ。お隣さんの判断に従って除雪しておいたのは正解だった。

今朝は5時15分に起床。本当ならもっとベッドでゆっくりしていたかったのだけれど、コズモに起こされた。
階下からbackyardへ出すと、ポーチに雪がたんまりと積もっていた。夜のうちで降っていたらしい。予報通りか。

珈琲を淹れて一息。
メールチェックをしていると除雪車の音が聞こえてきた。いつもより早い時間。いつもより大型の。
どれどれ・・・窓から眺めていたら、我が家の前までは入って来ず、courtの入り口部分だけを軽く除雪して出て行ってしまった。なぜに???デイブ(3軒隣)のpickup truckとteenager(左隣)のポンコツアメ車が路上駐車されていたせいか、それとも大型除雪車だったから入れなかったのか。たぶん両方。あーあ。


雪国の人たちは我慢強い。

と、生まれも育ちも南国トロピカルなわたしたちは、「雪投げ」だの「雪おろし」だのをしている人々をTVで見ながら感心したものだ。屋根より高く積もった雪とか、どうするのよ?かんじきを履いて歩くって、どういうことよ?それより何より、冬の間、何度も何度も雪かきって、、、、。なのに、TVで見る雪国の人たちは大抵、笑っているのだった。いやぁしょうがねえっす、みたいなことを言っていた。雪が降るのは当たり前、雪を下ろすのも当たり前。そうやって暮らしていくんです、という感じ。あんな厳しい自然の中なのだからきっと辛いだろうに、表情は全く怒ってなどなく、とてもとても穏やかだった。


自分も少しは我慢強くなっただろか?


お隣さんのスーは独り者だ。彼女の子供達はすでに独立し、時々孫を連れて遊びに来る。以前はBFがたまに来ていたが、ここ3年程は姿を見ない。

今朝、スーはまだ薄暗い6時前から作業を始めていた。早っ!!えーどうしよう、、、、窓際で悩む自分。
でも、いつも彼女がお見本。彼女の判断は常に正しい。


ということで、わたしも6時半少し前から除雪作業を始めた、というわけ。Drivewayとsidewalk、そしてback porchへ。ついでに犬たちのpoopを拾って、約45分。終わってみると汗ばんでいるのだから、軽いエクササイズである。そして、なんだか清々しいではないの。ちょっとした満足感。


外は、雪がいよいよ本格的に降っている。
さっき除雪したdrivewayも既に真っ白だ。
やった意味ないじゃん。と思ってしまいそうだが、意味は大アリで、この、朝の一手間が次回の作業を楽にする。近道などない。地道にやるしかない。
ということも、お隣のスーに従ってやっているうちに身につけた。


Why do we live here?


何年か前にスーが除雪しながら言った言葉だ。

もちろん、彼女は笑顔だった。









1/31/2019

Deadly Cold






半端ない寒さ。
暖冬と言われていたのが嘘のよう。
Bitterly Coldでは済まない、Brutally Cold 否、Deadly Coldがふさわしい。
我が学区は火曜日から3日間休校措置が取られた。驚いたことに、先に発表されたのが我が街の大学だった。大学が休講する(しかも3日間)なんてこと、前代未聞だ。以前、娘がこの大学に通っていた頃、大学は絶対にクローズしないと嘆いていたのを思い出す。
ちなみに8時現在の気温は-26°F(-32.2℃)wind chilは-40°F(体感温度-40℃)。今朝起きた時から殆ど気温が上がっていない。でも太陽が上がってきたので、これから少しはマシになるだろう。


姉は「家から出ないで済むなら最高じゃ」と言った。確かにそうだ。
が、一昨日はデューイがBackyardの真ん中あたりでじっと座ったまま動かなくなり、迎えに行かなくてはならなくなった。彼は耳が遠くなってしまったので、ドアのところから名前をいくら呼んでも聞こえていない。また、こちらを向いている時に大袈裟に両手を上げて振ってもどうやら見えていないらしい。しょうがないので、ニット帽をかぶって厚手のコートを着込み手袋を装着、スノーブーツを履いて迎えに行った。わたしが近づくとようやく、ああ、という表情。凍え死ぬよ!と言いながら連れ帰ったこと2度。
なので昨日は頃合いを見て最初から一緒にbackyardへ出た。どのみち散歩へ行けるような気温じゃないし、poop拾いをしながら少し遊ばせた。が、さすがに5分程度しか持たない。犬たちもそれで充分そうだった。それくらい、寒い。マフラーで顔を覆うべきだった、呼吸をすると肺がキンと冷え込むのがわかった。


室内は暖かいから寒くても割と平気。
と、良く言ったものだが、この3日間はセントラルヒーティングの限界を知った。特にmain floorはオープンになっているので暖まりが悪いようだ。寝室の方が数倍、暖かい。どうにも我慢できなくなり、一時的に設定温度を上げた。かつ、暖炉にも火を入れる。こんな時にやせ我慢したってねぇ、、、、と、自分に言い聞かせる。この地へ来て10年、こんなに寒いと感じるのは初めてだ。


日本に住んでいた頃、ストーブのある部屋から出るのが苦痛だった。
キッチンへ何か取りに行くのも寒くて億劫だったし、トイレへ行くのでさえギリギリまで我慢する始末。
そんな中、ストーブの灯油切れは一大事だった。誰が灯油を入れに行くか?わたし達はじゃんけんで決めたものだ。勝者はガッツポーズで喜び、敗者は悪態をつきながら泣きながら灯油を入れに行く、「早く早く〜」という声に推されながら。
寝る前には寝室のスペースヒーターを時間予約でオンにし、電気敷布で床を温めた。
早朝、娘はヒーターの前で制服に着替えていたっけ。「そんなに近づくと焼けるよ!」


こうして思い返すと、やっぱりママゴトみたいな暮らしだった、、、。笑い話だ。



大寒波はとりあえず今夜までの様子。午後から雪になるようだが、気温が上がるのなら文句は言えない。
明日は金曜日。月曜以来の出勤。2月が始まる。

















1/26/2019

消火栓と雄たけび






海外暮らしが長くなると日本語を忘れてしまう、というのは聞いたことがある。最初それは迷信だと思っていた。そんなことがあるかいな。


昔、進学だの就職だので島から出て行った若者たちが、帰省する時によく言ったものだ。
「忘れちゃって・・・もう島の言葉では喋れなくなっちゃったよ。」(と、もちろん東京言葉で言う。)
いやいやいやいや、忘れてなどいるものか。島口が出ないようにしているだけだろう。あなたがたは<心がけて>東京弁(?)を喋っているのです。
いつだったか、島口で話すわたしにある友人はこう言った。
「m、方言今でも使えるんだね、すごい。」(と、東京イントネーションで)
方言って・・・島口でしょ。島では方言なんて言わないでしょ。
忘れてなんかいません。そんな簡単には忘れません。
でもわたしの島口なんて本物じゃぁない。イントネーションが島のそれに近いだけのもの。生粋の島ユムタではない。それでも。



が、実際に日本語(というか島口)を忘れてしまったというケースがある。それは現代のように海外にいても日本語に触れられることが一切なかった頃の実話だ。
アメリカに移住してから一度も日本へ帰ることのなかったその画家は、故郷の有志たちにより50年ぶりだかに帰島、残っていた親戚らと対面した。しかし彼は島口をほとんど話せなかったのだそうだ。日本語を理解はしていたのだと思う、が、詳細はわからない。
これは、「海外暮らしが長くなって日本語を忘れてしまった」実例だ。




そこで自分はというと・・・
アメリカ暮らしも総計15年になってしまった。
今になって思うのが、約15年前、あんな英語力でよくまぁ仕事に就いたモンだ、ということ。若さって素晴らしい。怖いもの知らずとはこのことか。

そして、今でも日本語は忘れていないし、島口だってワスィルィリン。
島口は逆に昔よりも心がけて使うようにしているおかげで、姉たちからも一目置かれている。
しかし、、、、
日本語力の衰えは感じている。
いや日本語力だけではないのかもしれない。英語だって危なっかしい。最近は夫によく聞き返す。What? What did you say? 聞き取れなくなったのは加齢による聴力低下のせいか或いは認知力低下か、、、、。


先だって、「消火栓」という言葉を思い出させてもらった。友人が教えてくれたのだ。わたしはその言葉をすっかり忘れていて、Fire Hydrantと言っていた。というより、日本では見たことがなかったので、ないものだと思い込んでいた。だからそれに対応する日本語を探そうともしなかったのだ。しかし、形やシステムは違えど、日本にも確かにあるのだ、消火栓。補習校講師としてはいただけない。

今朝は「雄たけび」という言葉を見つけて、はっとした。最近、聞かない言葉。目にした時にはちょっと笑ってしまった。彼女は女性なのに「雄」叫び、なのか!とね。(ちなみにこれは、大坂なおみ氏の全豪優勝の記事。)
雄たけびを英語にすると、Battle roarとなる。roarだけでも良いのだけど、試合中の雄たけびなのでbattleがあった方が良いのかな。
でも雄たけび、って日本語、なんだか男性社会を示しているなぁ、とあらためて思う。



つらつらと書いているが、書きながらなんとなくわかったことがある。
それは、言語というものは見聞きして使わないと、やはり衰えるものだということ。
日本語に限っていうと、わたしの場合、昔に比べて本を読まなくなった。圧倒的に読む量が少ない。こうしてネットで日本の記事を読むくらいだ。やはり、本を読まないと「言葉」は廃れてくる。言葉は生きているものなのだ、と、なんとなく実感。
英語も同じだ。
職場でいつものメンバーと話すことなど限られている。だから通じる。家族間も同様。幅がないから今の自分の英語力でもOKなのだ。Sometimes, just O.K. is not O.K. というCMがあるがまさに。英語ももっと活字に触れ、もっと新しい世界に目を向けないと、このままでは頭打ちだ。
最後に島口。
島口は・・・・本音を言うと、英語よりも上達したい気持ちが強い。わたしは島口を流暢に喋れるようになりたい、と昔から思っている。願っている。だから、努めて島口で喋るようにしてきたし、耳をよーく開いて聴き取る努力もしてきた。島に帰るたびに、その思いは強まった。
母が亡くなって、しばらくその気持ちは少しばかりへこんでしまった。母ちゃんと島口でペラペラと喋ることが夢だったからね。でも、へたれてばかりもいられない。キバティクリヨーという声が聞こえるでしょ。きっとね。


歳をとるということはチャレンジです。

と、誰かが言った。
本当にそうだわ。

日本語も英語も島口も大事。

大事。







1/25/2019

ユメモ・aphorism





犬たちをBackyardに出そうとしたら、斜め向かいの家の人が彼らの愛犬を庭に出していたので、どうしたもんかとドアを開けられずにいた。
するとぶるーすが早く開けてくれと言うようにそわそわし始めた。そして、(見える筈がないのに)彼のお尻の穴がぶわぶわと膨らみ始めたので、慌てて階上へと連れて行った。
のだが・・・悲しいかな、間に合わなかったようだ。
駆け上がった先、ガレージへと続くドアのところで、ぶるーすは用を済ませてしまった。彼が粗相をするなんて余程のこと。怒る気にはならない。


ロールペーパーでブツを取り、main bathroomへ。両手の塞がったわたしは呑気にやって来た夫にトイレの蓋を開けてくれ、と頼んだ。へいへいと夫がトイレの蓋を上げると・・・
なんとそこには流されていないものが、、、、
ブチ切れそうになりながら、早くフラッシュしてよと叫ぶ。が、夫は一緒に流すよと言わんばかりの表情でわたしを見ている。

まずは<それ>を流して!!
流す前に蓋閉めてよ!!




この後、晴れてぶるーすのものも始末できたのだろうが、夢の記憶はここで止まっている。そこで目が醒めたのかもしれない。



先日、友人夫婦とランチへ行ったおり、なぜか「我が家のルール・トイレの蓋編」についての話題になった。娘がなかなかそれを実行出来なかった、というもの。なんでそんなろくでもない話をしてしまったのか、、、、思い出すだけで恥ずかしい。
彼女のご主人からは「そもそもどうしてトイレを流す時に蓋をしなければならないと思ったんですか?」と訊かれた。「目に見えない汚物の粒子が飛び散るらしいですよ。」わたしは真顔でそう答えたのだが、一つ思い出したことがあって付け足した。
いっちばん最初に「トイレの蓋を閉めようよ」となったのには立派な理由があった。
我が家の犬第1号であるぶるーす。
彼はトイレの蓋が開いていると、そこから水を飲む悪習があったのだ。
「トイレの蓋閉めてってば!また、ぶるーすが水飲んでたわよ!」
そうだった。それが元々の始まりだったのだ。
友人夫婦は、なるほど、それなら話はわかる、といった顔をしていた。汚物の粒子飛散論では納得できなかったらしい。



そうか。今、わかった。
だからぶるーすが登場したのか。。。


ぶるーすはこの家に来て間もなく亡くなった。
引っ越し前から体調を崩していたが、引っ越し後はいよいよ動けなくなり、ほとんど寝たきりの闘病生活だった。だから、階下のbackyardへ向かうドアへは行ったこともないし、庭に出ることさえ出来なかった。

夢の中でぶるーすは相変わらず一番大きくて、そしてとても元気だった。尻尾のないお尻をフリフリさせて、庭へ出せ、庭へ出せ、と、目をキラキラさせながらはうはうしていた。デューイもコズモも、ぶるーすの後方にいて、ぶるーす兄ちゃん健在!って感じだった。



友人は彼女自身のことをアホリズムと名乗っている。わたしの大好きなバカリズムから取ったのか、と思ったが、彼より先に名乗っているのだと言う。自分の氏名をいじってのものということで、言葉遊びのようなものだった。聡明でありながらユーモアのあるお人なのだ。彼女はこうも言った。「aphorismにも似ていて良いかな、って。後付けだけど。」

かかか、かっちょえええええええ!

いやいや後付けじゃないでしょう。さすがです。素晴らしい!!


わたしはすっかり彼女のことが大好きになってしまった。ご主人もまた然り。なんて知性溢れるご夫婦。ふたりともわたしみたいにわちゃわちゃしてなくて、ものすごく自然体。ものすごくクール。



そんなお二人に会って三日後に見た夢がこれでした。
夢にはなにやら隠された意味があるのか?いや、意味なんてない。見て、楽しんで、こうやって思い出して書いておけば、後になってからも味わえる。それが夢です。

そして、「トイレの蓋を閉める」は、我が家の格言であります。これ、後付けですが。
















1/23/2019

cold hives





まさかの5連休。Yay!!
月曜日はMLK.Jr.Day の祝日休。昨日と今日はSnow Day、尚且つ土曜日の補習校も悪天候による休校措置が取られ(実は2週連続!)、なんと土日月火水とお休み。こんなことって、滅多にない。ブラボー中西部やったぜベイビー!ここらに住む連中はみんな雪とか寒さとか嫌がるけど、気持ちはもちろんわかるけど、やっぱりわたしは好きだなぁ。寒冷地、最高でっす。


でも自分、寒冷蕁麻疹に気を付けなければならない。以前から、そういう傾向はあったのだけれど、実は月曜日、これまでにない大きな範囲で蕁麻疹が出た。服を脱ぐまで気付かなかったのだが、目にした途端にぼわわ、、と、余計に膨らむような気がしたくらいの膨隆疹だった。場所は両大腿全面〜膝までと、顔の両耳下部から顎にかけて。
考えてみると、他の部位より冷気にさらされた部分だった。犬たちを散歩へ連れて行った時だ。一番暖かいロングのダウンジャケットを着て行って安心していた。実際、我慢できないほどに寒い!という感じはなかった。が、ちょうど蕁麻疹が出た部分はジャケットで覆われていない部分だった。膝下はスノーブーツだったので大丈夫だったのだろう。体躯ばかり気にして、long johns(いわゆるズボン下ね)を履かなかったのが良くなかった。やっぱり寒冷地なのだ。気を付けないと。

この蕁麻疹、見つけてすぐにBenadryl(抗ヒスタミン剤)を服用し、ひまし油を塗って安静にしていた。それから、その部分の写真(万が一医者にかかった時のために、と撮影)を夫に送って泣きついた。「犬たちを散歩に連れてったらこんなことになったよう。」

すると夫、「こんな気温では気を付けないと凍傷になってしまうよ」と言う。あ、そっか。もしかするとこれは蕁麻疹ではなく、凍傷か???
正直、凍傷という発想はなかった。曲がりなりにも直接冷気に触れたわけではなく、服で覆われていたのだから。しかももうBenadrylを服用した後じゃないの。

でも、落ち着いて考えてみると、凍傷だとしたらとりあえずその部分のケアをすれば良いだけのことだ。ひまし油は間違っていない。この先もし水疱でも出来たら、それはその時に考えよう。見た目、組織損傷は浅い。蕁麻疹だと、見るだけで酷くなりそうなので、しばらくは確認したくない。不思議な話、アレルギー反応というのは精神的なものもかなり作用してくる。これは経験済み。


それから2時間くらいして、恐る恐る患部を見てみたわたし、ほっと一安心。膨隆疹は消え去り、ところどころ赤い発疹がまだらのようにあるだけだった。やーっぱり蕁麻疹だったんだな。ふぅ〜っBenadrylのんどいて良かったよ!
顔の方はもっと改善されていた。ほとんど、発疹らしきものもなし。


それにしても、今回は大いに勉強になりました。まず、自分は正真正銘の寒冷蕁麻疹体質だということ、そして、寒い日の散歩には肌をなるべく露出しないようにする、袴下を着用する。予防が大事。一旦蕁麻疹が出ると、快方するまで時間がかかる。それに、もちろん、辛い。


これまでにも冬場の散歩後、頬や顎にボコボコと2-3cm大の膨隆疹が出たことが数回あったが、やはりあれも寒冷蕁麻疹だったということだ。そういえば、同じ症状が、たま〜に魚介類の加熱が不十分で生っぽいと出たことがある(基本的に生モノは食さない)。これは飲んでいる時だと余計に悪いようだ。あまり気にしないようにしてきたが、よくよく考えると過去に数回あったな。あーヤバイヤバイ、こちらも気を付けないと。




母は肌が弱かった。
パーマをかけるのを諦めたのは、頭皮がパーマ液に過剰に反応するようになったからだった。母はしばらくはそのアレルギー症状に対抗して我慢していたけど、とうとう諦めざるを得ないほど、症状が悪化したのだった。
下着のゴム痕も日常茶飯事。襟の後ろ側にあるタグは必ず切り取っていたし、襟首に(勝手に)ハサミで切り込みを入れてさらに緩くもしていた。歳をとるとそれらはさらに酷くなり、痒み止めは必需品。肌の保湿のためにオイルやローションも塗っていたけれど。

長兄は太陽光蕁麻疹だそうだ。そんなのあるの?と笑ったものだが、夏場、兄はせっせとアームカバーをつけ、首にタオルを巻き、長ズボン姿で散歩へ出かけていた。「蕁麻疹が出ると後が大変なんだよ。」

弟は寒冷蕁麻疹だそうだ。見たことはないが、随分前にそう言っていた。「酒の飲みすぎなんじゃないの?」と冷やかしたものだが、まさか自分もそうなるとは。

髪染めに酷い反応が出てもう髪を染められない姉もいるし、エビ・蟹を食べられない姉、そば粉アレルギーのある兄もいる。これら全て、母から受け継いだものなのか???



2年前か3年前の年末、かなり酷い全身蕁麻疹が出た。この時はやむなく医者の世話になった。Benadrylだけでは(しかも3回は服用)効かなかったからだ。原因不明と言われたが、トリガーになったのは、キムチ鍋のコチュジャンもしくは義妹からもらった新しい服、と、思っている。


そういえば、あれ以来、キムチ鍋を食べていない。










1/21/2019

K事件






Hatena日記さんからメールが届いた。
はて?はてな、とな???と、ちょっとわざとらしいが、最初は(本当に)何故こんなものが届くのかわからなかった、リンク先に跳ぶまでは。

そこで思い出したのだ。
そうだったそうだった。
はてな日記を以前お借りしてたのでした。

リンク先には、引っ越しします、という記事。
はてなさんのところに広告が出るようになったから、と書かれている。(そして、その引っ越し先がここだったらしい。)
もう随分前のことだ。すっかり忘れていた。
いや、こうやって書くことさえもすっかり忘れている自分。


さっき、何か書くか、と設定ページ(と言うのかな?)に行ってみたら、ドラフトに何か残っていた。タイトルは 「First Day of School 」。書いたのはどうやら2018年の8月らしい。3行くらいで止まっていた。
顔本に行ってみたら、First Day of School! のポストがわんさか、もちろん子供達の誇らしげな写真とともに、というやつ。あ〜わたしも昔は娘の写真を撮ってたな〜〜〜なんてことを思い出した。のかもしれない、ちょっとばかりの気恥ずかしさとともに。


顔本。Face book.

今、わたしは顔本のアカウントを休止している。永続的に休止、のつもり、とりあえず。
煩わしさはあった。
2年くらい前かな?職場の同僚が職場用のグループメッセージを作成した辺りから。
ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しようもないメッセージがじゃんじゃん入ってくるのだ。
しかも人数が多いもんだから、その、ど〜〜〜〜〜〜〜〜しようもないメッセージにど〜〜〜〜〜〜〜しようもないコメントをする奴がわんさかいる。その度にシャンシャンわたしの携帯の画面に「メッセージ来ましたぜ」の文字列が並ぶ。携帯のサウンドは常にオフにしているので音は出ない、それでもウザい。しばらくは無視していたが、そのうち我慢できなくなって、その「メッセージ来てますぜ」ってやつをオフにした。かなり、セーセーした。解放感。
翌日、同僚たちから「メッセージ見た?」と聞かれた時には「知らん。オフにしとったから。」と答えた。問題なし。重大なメッセージがあったとしても、別に命に関わるものではない。しかも、わたしに超関係のある件であれば、メッセージでなくとも電話なりtextなりで連絡が来るのだ。大抵のものは次に職場で会う時に耳にする、で、充分事足りる。

そんなこんなでやり過ごしていた顔本だったが、ある日、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しようもない事件が起きた。
同僚Kからわたし宛にメッセージが来た。グループメッセージではなく、個人的なもの。
明日また休むのか?(彼女は体が弱いのだ)と思ったわたしは、そのメッセージを開いてみた。
らば。
らばラバらば。
これがもう、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しようもないコピペのメッセージだった。


内容。

m(←わたしの名前)、あなたから<また>フレンド申請が来たの。
絶対スパムだと思ったから無視したけど。
あなたのアカウント乗っ取られてるっぽいよ。
セキュリティ強化が必要ね。


はぁ????? あり得ん。

セキュリティはもう随分前から「最強力」とされているやつに設定済みだ。
わたしは同僚に顔本メッセージではなく、textでこう返した。
「ね、あなた本当に<実際に>わたしからのフレンド申請が、今、来たってこと?」

この同僚、ちょっとしたことですぐ嘘をつくことで有名なお人だ。なので、単刀直入に訊いた。イエスかノーか、さて、どう出る?
と、Kの返事はどっちでもなく、否、どっちともとれるものだった。Kはそこで、訳のわからんことを説明しだしたのだ。
「もう一度訊くけど、実際にわたしから申請があったってこと、なかったってこと?」
すると、Kの返事はイエス、と来た。

うわーーーー
もう、どう〜〜〜〜〜〜〜でもいいわ!

と、ここでわたしはブチリと切れました。
めっちゃコピペのあの文章で(Kにあんな理路整然とした文章が書ける筈がない。文体もKのものとは全然違うし)、平然とイエスと言っちゃうなんて、もうちゃんちゃらおかしくてやってられんわい。

「わかった。ありがとう。ぶっちゃけ顔本にはうんざりしてたところだからアカウント消すわ。」
KにそうtextするとKは慌てて
「消さなくても大丈夫!セキュリティ設定を強化すれば問題解決よ!わたしもそうしたの!そしたら全く問題なしになったから!」
「いや、セキュリティ最強になってるから、既に。いいのいいの。顔本信用ならんから。」

ってことで顔本を消してから・・・・かれこれ3-4ヶ月か?


最初は「あ、顔本なくなったんだった。」と、事あるごとに思ったものだが、今ではもう顔本なしが当たり前の生活。ろくでもない職場のグループメッセージは来ないし、ゴシップにも見ざる聞かざるで済む。最高スッキリ。
ある同僚たちからは、m、もしかしてわたしのことアンフレンドした?とか聞かれたものだが(タグ出来なかったとかなんとかで)、顔本アカウント消したから、と言うと、ええええ!?なんで????と、驚かれたが、今ではもうみんなが知ってる。mは顔本してないものね〜と。いいわ、これ。マジすっきり。



ついこの前、めちゃくちゃ笑えることが起こった。
新しく入った職場の若い子から、「m、顔本のフレンド申請したいんだけど、いい?」と訊かれたのだ。
「あ、駄目だわ、わたし顔本やってないから。」
すると彼女、目を大きく見開いて「なんで????」と叫んだ(本当に、叫んだのだ)。
そして、こう言ったのだった。


「じゃぁm、どうやって他の人の生活を見るの???」


目が点になった。そして、笑った。大笑いだ。
面白過ぎる。そっかそっか、そうだよな。顔本をしている人たちの真髄はそこのところにあるのだなぁ。

「他の人の暮らしぶりをチェックする」

なるほど。だから顔本ちゅうのは煩わしいんだな。だから自分は今こうもすっきりしとるんだな。



そういう意味では、あの「K事件」には感謝すべき、であろう。わはははは。

















8/19/2018

Jet lag






こちらへ戻って今日で5日目になる。
なんとか日中に活動、夜に睡眠という形を取れてはいるのだが、午後からの眠気が酷い。まずは13時過ぎに最初の波が来る。それを凌ぐと、16時頃に次の波が来る。2回目の波は、じきに夕食の時間だということも手伝ってか、最初のそれよりは負担を感じない。
問題はその次の波だ。

昨夜は18時過ぎにそれが来た。夕飯は left-over と決めていたので、特に準備する必要はなく、また、食べるには少し早過ぎる。そこでヨーグルトを(こともあろうに)食してしまったのが良くなかった。しかも日本から持参した「ごろっとグラノーラ・きな粉仕立ての充実大豆」も入れてしまった。結果、かなりの満腹感、、、ちょっと休まないと夕飯どころではない、、、、

というところで、最大の波に襲われた。眠くて眠くて、どうにも抗えない。目覚ましにiPadで Gummy Drop を始めたら、それがかえって良くなかった。眠くて眠くて、脳味噌が溶け出してきて、、、

ハッと気付いたら40分程、意識を失っていた。ヤバイヤバイ。仕切り直さねば。
リクライナーの脚を下ろし、背筋を伸ばす。
なのに、眠い。そして、もう19時半を過ぎたというのにお腹が空かない。夕飯、食べないと、、、夕飯、あっためようか?夫に訊くと、彼は自分のことは心配せずに、眠りなさい、と言う。魔法の言葉「もう眠りなさい」。
いやいや、まだ眠りたくないんです。今、寝てしまうと、夜中に目が覚める。そして明日もまた変な時間に眠くなってしまう。だから、眠りたくはないのです。

が、脳も体も、もう睡眠薬にしっかりと浸された状態だった。睡眠薬というより麻酔薬かな。10から1までゆっくりと数を数えてください。10、9、8、、、、


辛うじて歯磨きはした。顔はオイルで拭き取っただけ。
あぁ情けない。



年々、時差ボケが酷くなる。去年は通常のリズムに戻るまでに10日くらいかかった。
今日は日曜日で休み。補習校の授業計画を立てる。
明日は1日ミーティング。明後日は prep で出勤。
明後日は今のところ休みで、木曜日から本格的に仕事復帰。2018-2019 School Year が始まる。










8/18/2018

珈琲






毎年感じるのだが、日本から帰ってきてここで珈琲を飲むと、なんか違う。もちろん味が違うのだけれど、何だろう?濃さ???味はもとより、何かが全然違う。日本では「アメリカンコーヒー」という言葉が存在するが、そういうことなのか?


自称珈琲好きのわたしたち姉妹はその昔 色々なところあちこちの自家焙煎珈琲=珈琲豆を試したものだが、圧倒的な安定感(というのは値段なのだが)で某珈琲屋さんの豆に落ち着いた。そこは珈琲好きなオーナーがなかなかのやり手だったようで、この夏、久しぶりに本店へ訪ねて行くと、なんと新装開店されていた。以前は小さなお店だったのが、大きくなって駐車場へのアクセスも簡単。何よりオッシャレーな造りで「金かけたねぇ」って感じ。娘から「東京でもその珈琲店の豆を表示しているお店がある」と聞いていたのだが、なるほど頷けるわ。

今年、その本店へと出向いた際、スカさんにお土産で珈琲豆250g(ホンジュラス)を購入した。ホンジュラスにした理由は、なんてことはない、季節のお買い得品=その月のお勧めだったから。ついでに、シングルドリップの珈琲もいくつか。アメリカではシングルドリップパックというものが存在しない。なので、それもちょっとお披露目したかった。


お土産に買ってきたのに、まだ開封せず冷凍庫で保管している。その代わりに、Costcoで買ったスターバックスの珈琲豆を使い始めた。先にも述べたが、日本から帰ってくる珈琲の淹れかたの勘(?)を取り戻すのに苦労するので、その練習用ってわけ。
まぁ大体において、淹れる量も違うからね。珈琲豆を測るscoopの大きさも違うし。


というわけで、今朝で3日目だったのだが、少しずつ慣れてきた感じ。
初日は酷かったなぁ。かなり薄かった気がする。昨日は濃過ぎたので量を少し減らした。まぁまぁ。でも、明日は豆をもっと荒く挽いてみようと思う。ちなみに、今回買ったスターバックスの豆はFrench roastです。まぁ普通に、美味しい、と思う。


この味に慣れてもうしばらく経ってから、買ってきたお土産のホンジュラスを淹れよう。楽しみたのしみ〜。











8/17/2018

Dewey in a wagon





試しに書いてみる。
この場所は久しぶり過ぎてどのように投稿していたのかも思い出せない。


2ヶ月ほど日本へ帰省していた。
その間、犬たちはいつものように義両親のところへ。

2週間も過ぎた頃だろうか、義母から連絡があった。
「Dとはもう歩いていない、散歩へ行くと脚を引きずるようになったから」

Dは去年の11月くらいから神経痛に良いとされる薬をのんでいる。歩きが遅くなったのに加え、階段を上がれなくなったからだ。
検査の結果、arthritis(関節炎)とのこと、特に下肢は感覚麻痺が強い、と。
なるほどだからか。Dは後脚を擦るようにして歩くので、放っておくと爪が擦れて出血してしまっていた。だからもう長いこと、Dには後脚だけにブーツを装着している。

帰宅後、Dの薬を確認すると、残薬が多かった。義両親滞在期間より4錠(2日分)ほどしか余分を入れていなかったのだが・・・。
きっと何度か投薬し忘れたのだろう、義母ももう歳だ、しょうがない。


先日、夫がオーダーしてくれていた新しい薬をもらってきた。
価格の関係上、大きな錠剤をわたしの方でカットしてあげている。今のところ1/4にカット、1回200mgの投薬だ。
が、Dの脚の様子によっては増量する必要もありそうだ。
とりあえず、残薬をあげながら脚の調子が良くなるかどうかを見ようと思う。


帰宅しての翌日。
夫と一緒に犬たちを湖の公園に連れていった。
湖の周囲にあるtrailを1周するのはDには過酷だ。
ということで、garageに保管していた懐かしいぶるーすのワゴン登場!
このワゴン、Bに歩行困難が出始めた時に買ったものだが、あいつは嫌がってほとんど使えなかった。
さて、Dはどうだろう?


わーい!
なんと、喜んで乗ってくれたじゃないの。うひゃひゃひゃひゃ。
犬によってこうも違うとは驚き。
D、最初は戸惑っていたけれど、なんとなく嬉しそう。
歩くのより楽ち〜ん!って感じか?(笑)

家で留守番より良いものね。
ワゴン、捨てずにとっておいて良かったわー。


てか・・・写真を投稿したいのだが、どうやってしたんだっけか???(^^;