12/03/2020

11月のクリスマス

 






今年のクリスマスデコレーションは、かなり早いうちに始めた。

いつだったかと言うと、11月7日。

いつもならどんなに早くてもわたしの誕生日が過ぎてから。なので1週間は早い。その理由は簡単。何かしたかった。身体を頭を動かしたかった。そして、出来るだけ明るくしたかった。コズモが帰ってきたときのために。そして、ホントの本当の気持ちを白状してしまうと、コズモが帰ってくる前に出来るだけのことをしておきたかった。もしかしたらそんな気持ちにならないかもしれない、と思った。そして、そういう予感を拭いながら、デコレーションに励んだ。クリスマスメドレーをBGMにして。




暖炉の上にNativity Setを飾った。ツリーを立てるのにカウチの位置を少し変えた。コズモがいつも駆けてっては眺める窓のところ。ここだとコズモは困るだろうか。


去年はクリスマスのお祝いをした2日後にデューちゃんが逝ってしまった。あれからまだ1年も経っていない。コーちゃん、ダメだよ。まだです。デューイ、まだコズモを連れてかないで。お願いだよ。


11月のクリスマス。かき乱される心を抱きしめながら過ごした。










11/01/2020

m

 






Halloweenの日に姪っ子からHalloweenカードが届いた。奇跡。


姪っ子には、思うことがあってカードを出していた。1ヶ月くらい前のことだ。

それは彼女のもとに無事に届いていたらしい、カードありがとう、と書かれていた。あの頃は落ち込んでいたみたいだけど、今回の文面からは明るいエネルギーを感じた。しっかりと前を向いて歩いている様子。なんだかんだ言って、彼女ももうれっきとした大人だ。


姪っ子とは気が合う。というか、彼女がわたしに合わせてくれているのかもしれない。一緒にいて心地良いし、あまり気をつかうこともない。向こうはどうかわからないけれど。そう言えば、いつだったか、ずっと前にこちらに遊びに来てくれた時のことを「これまで旅行した中で全くストレスを感じない旅だった」と評してくれたことがあって、それを聞いてもうおばちゃんは有頂天よ。心をくすぐる言葉を知っている。本心だと思うけど、お世辞でも嬉しい。


姪っ子とはそんな感じなのに、娘とはまた違う感じだ。もちろん、娘のことは心から愛しているし(当然のことだ)常に気にかけている。娘とは数え切れないくらい喧嘩して、数えきれるくらいの大喧嘩もした。昔は仲良しだと思っていたけれど、まぁ思春期くらいから色々あった。正直な話、自分はあまり良い母親ではなかったと思うことも多く、でもそんなこと言ったからってどうにもならないことも分かっている。以前、姉から、わたしは「子離れ」出来ていないと言われた。そのとき姉は、わたしの娘のことも「母離れ」出来てない、と言って笑っていた。それでますます、わたしは毒親だったのか、、、と思った。娘は毒親の支配から逃れられずにいるのか、とか。悲劇の主人公かいな。


それでも血の繋がりというものは濃く、簡単に切れるものではない。わたしは「心がけて」娘に干渉しないようにしていて、彼女の良いように、彼女が自分で決めて自分で進めるように、と思っている。という時点で、かなり気を遣っているのだなぁ、、、と、姪っ子のことを思いながら、考えた。


そう言えば娘は、わたしと姪っ子との関係に、少しばかりのジェラシーを感じているような気がする。気のせいかもしれない。でも、当たらずも遠からず。だと思う。ということは、わたしが娘に対して姪っ子に対するような気持ちになれば、もっとうまく行くのではないだろか???なんてことを思ったりもした。これはかなり浅はかな、馬鹿馬鹿しい考えだ。姪っ子だからこそ、心地良い距離があるのだろうし、娘だからこそ、どうしても近過ぎたりするのかもしれない。


辻仁成氏のブログを読んでいると、息子くんが自分の娘に重なる。期待しないで、というのと、期待しなさ過ぎ、というくだり。

わかるよわかる!!と、心の中で叫んでしまった。

でも、娘は17歳ではない。立派な大人だ。だから、辻さんとこの父息子とは違うのだ。




ふむ。何を書きたかったのか、わからなくなった。









10/22/2020

毒を入れる

 






老いのいいところは、少しずつではあるが自分が社会から免責されていくような気分になれるところだ。

・・・・中略・・・・

他人に求められなくとも、自分のうちから湧いてくる生きる歓びをどこまでもっていられるか、それが私にとっての老いの課題かもしれない。


谷川俊太郎氏の「ひとり暮らし」を読み終えた。

あとがきが2001年になっていて、2009年に文庫版へのあとがきが加えられている。ということはもう既に20年近く前のものだ。

谷川氏はこの本の中で既に「老い」という言葉を使っているけれど、今はもう本当のほんとうに、おじいさん、になっているのだろう。まだひとり暮らしをされているのかな・・・と思って調べてみたら、去年の12月に(令和元年と書かれているからそうなのだろう)詩集を出していた。早速、Bibliaアプリの読みたい本リストに入れておいた。


その中で、

詩というのは基本的にきれいごとを書くものなんだけど、でもやっぱりその中に毒を入れなきゃいけない、みたいなのがありますね

というのがあって、ハッとした。


この記事によると、彼は生きる歓びをまだまだもっているのがわかる。






10/20/2020

鈍感であれ

 







お〜こわいこわい



と言われたときにちょっと傷付いた。

自分のことを言われたわけではないし所有物でもなんでもないのだから傷つく必要はないのになぁ。まだはがれていないってことか。




悪意がある


と言われて傷付いた。

悪意なんかありません。でもそう感じたのならごめんなさい。と返すと、それ謝ってないよねと駄目押しされた。そんなことないんですけどね。文字だけで伝えるというのはなかなかですな。



しかし自分よ


いちいちいちいち傷付くこともなかろうよ。

相手の感じたこととか考えてることとか、そんなのどうにも出来んだろう。どうにかしようと思うのもちゃんちゃらおかしい。いいじゃないの、こわいこわい。いいじゃないの、悪意。



もっと鈍感であれ。

何もかも感じ過ぎ。否、考え過ぎ。










2/17/2019

また、雪







除雪作業を終えた頃からまた雪が降り出した。
ザラザラと氷混じりの雪だ。お隣さんの判断に従って除雪しておいたのは正解だった。

今朝は5時15分に起床。本当ならもっとベッドでゆっくりしていたかったのだけれど、コズモに起こされた。
階下からbackyardへ出すと、ポーチに雪がたんまりと積もっていた。夜のうちで降っていたらしい。予報通りか。

珈琲を淹れて一息。
メールチェックをしていると除雪車の音が聞こえてきた。いつもより早い時間。いつもより大型の。
どれどれ・・・窓から眺めていたら、我が家の前までは入って来ず、courtの入り口部分だけを軽く除雪して出て行ってしまった。なぜに???デイブ(3軒隣)のpickup truckとteenager(左隣)のポンコツアメ車が路上駐車されていたせいか、それとも大型除雪車だったから入れなかったのか。たぶん両方。あーあ。


雪国の人たちは我慢強い。

と、生まれも育ちも南国トロピカルなわたしたちは、「雪投げ」だの「雪おろし」だのをしている人々をTVで見ながら感心したものだ。屋根より高く積もった雪とか、どうするのよ?かんじきを履いて歩くって、どういうことよ?それより何より、冬の間、何度も何度も雪かきって、、、、。なのに、TVで見る雪国の人たちは大抵、笑っているのだった。いやぁしょうがねえっす、みたいなことを言っていた。雪が降るのは当たり前、雪を下ろすのも当たり前。そうやって暮らしていくんです、という感じ。あんな厳しい自然の中なのだからきっと辛いだろうに、表情は全く怒ってなどなく、とてもとても穏やかだった。


自分も少しは我慢強くなっただろか?


お隣さんのスーは独り者だ。彼女の子供達はすでに独立し、時々孫を連れて遊びに来る。以前はBFがたまに来ていたが、ここ3年程は姿を見ない。

今朝、スーはまだ薄暗い6時前から作業を始めていた。早っ!!えーどうしよう、、、、窓際で悩む自分。
でも、いつも彼女がお見本。彼女の判断は常に正しい。


ということで、わたしも6時半少し前から除雪作業を始めた、というわけ。Drivewayとsidewalk、そしてback porchへ。ついでに犬たちのpoopを拾って、約45分。終わってみると汗ばんでいるのだから、軽いエクササイズである。そして、なんだか清々しいではないの。ちょっとした満足感。


外は、雪がいよいよ本格的に降っている。
さっき除雪したdrivewayも既に真っ白だ。
やった意味ないじゃん。と思ってしまいそうだが、意味は大アリで、この、朝の一手間が次回の作業を楽にする。近道などない。地道にやるしかない。
ということも、お隣のスーに従ってやっているうちに身につけた。


Why do we live here?


何年か前にスーが除雪しながら言った言葉だ。

もちろん、彼女は笑顔だった。









1/31/2019

Deadly Cold






半端ない寒さ。
暖冬と言われていたのが嘘のよう。
Bitterly Coldでは済まない、Brutally Cold 否、Deadly Coldがふさわしい。
我が学区は火曜日から3日間休校措置が取られた。驚いたことに、先に発表されたのが我が街の大学だった。大学が休講する(しかも3日間)なんてこと、前代未聞だ。以前、娘がこの大学に通っていた頃、大学は絶対にクローズしないと嘆いていたのを思い出す。
ちなみに8時現在の気温は-26°F(-32.2℃)wind chilは-40°F(体感温度-40℃)。今朝起きた時から殆ど気温が上がっていない。でも太陽が上がってきたので、これから少しはマシになるだろう。


姉は「家から出ないで済むなら最高じゃ」と言った。確かにそうだ。
が、一昨日はデューイがBackyardの真ん中あたりでじっと座ったまま動かなくなり、迎えに行かなくてはならなくなった。彼は耳が遠くなってしまったので、ドアのところから名前をいくら呼んでも聞こえていない。また、こちらを向いている時に大袈裟に両手を上げて振ってもどうやら見えていないらしい。しょうがないので、ニット帽をかぶって厚手のコートを着込み手袋を装着、スノーブーツを履いて迎えに行った。わたしが近づくとようやく、ああ、という表情。凍え死ぬよ!と言いながら連れ帰ったこと2度。
なので昨日は頃合いを見て最初から一緒にbackyardへ出た。どのみち散歩へ行けるような気温じゃないし、poop拾いをしながら少し遊ばせた。が、さすがに5分程度しか持たない。犬たちもそれで充分そうだった。それくらい、寒い。マフラーで顔を覆うべきだった、呼吸をすると肺がキンと冷え込むのがわかった。


室内は暖かいから寒くても割と平気。
と、良く言ったものだが、この3日間はセントラルヒーティングの限界を知った。特にmain floorはオープンになっているので暖まりが悪いようだ。寝室の方が数倍、暖かい。どうにも我慢できなくなり、一時的に設定温度を上げた。かつ、暖炉にも火を入れる。こんな時にやせ我慢したってねぇ、、、、と、自分に言い聞かせる。この地へ来て10年、こんなに寒いと感じるのは初めてだ。


日本に住んでいた頃、ストーブのある部屋から出るのが苦痛だった。
キッチンへ何か取りに行くのも寒くて億劫だったし、トイレへ行くのでさえギリギリまで我慢する始末。
そんな中、ストーブの灯油切れは一大事だった。誰が灯油を入れに行くか?わたし達はじゃんけんで決めたものだ。勝者はガッツポーズで喜び、敗者は悪態をつきながら泣きながら灯油を入れに行く、「早く早く〜」という声に推されながら。
寝る前には寝室のスペースヒーターを時間予約でオンにし、電気敷布で床を温めた。
早朝、娘はヒーターの前で制服に着替えていたっけ。「そんなに近づくと焼けるよ!」


こうして思い返すと、やっぱりママゴトみたいな暮らしだった、、、。笑い話だ。



大寒波はとりあえず今夜までの様子。午後から雪になるようだが、気温が上がるのなら文句は言えない。
明日は金曜日。月曜以来の出勤。2月が始まる。

















1/26/2019

消火栓と雄たけび






海外暮らしが長くなると日本語を忘れてしまう、というのは聞いたことがある。最初それは迷信だと思っていた。そんなことがあるかいな。


昔、進学だの就職だので島から出て行った若者たちが、帰省する時によく言ったものだ。
「忘れちゃって・・・もう島の言葉では喋れなくなっちゃったよ。」(と、もちろん東京言葉で言う。)
いやいやいやいや、忘れてなどいるものか。島口が出ないようにしているだけだろう。あなたがたは<心がけて>東京弁(?)を喋っているのです。
いつだったか、島口で話すわたしにある友人はこう言った。
「m、方言今でも使えるんだね、すごい。」(と、東京イントネーションで)
方言って・・・島口でしょ。島では方言なんて言わないでしょ。
忘れてなんかいません。そんな簡単には忘れません。
でもわたしの島口なんて本物じゃぁない。イントネーションが島のそれに近いだけのもの。生粋の島ユムタではない。それでも。



が、実際に日本語(というか島口)を忘れてしまったというケースがある。それは現代のように海外にいても日本語に触れられることが一切なかった頃の実話だ。
アメリカに移住してから一度も日本へ帰ることのなかったその画家は、故郷の有志たちにより50年ぶりだかに帰島、残っていた親戚らと対面した。しかし彼は島口をほとんど話せなかったのだそうだ。日本語を理解はしていたのだと思う、が、詳細はわからない。
これは、「海外暮らしが長くなって日本語を忘れてしまった」実例だ。




そこで自分はというと・・・
アメリカ暮らしも総計15年になってしまった。
今になって思うのが、約15年前、あんな英語力でよくまぁ仕事に就いたモンだ、ということ。若さって素晴らしい。怖いもの知らずとはこのことか。

そして、今でも日本語は忘れていないし、島口だってワスィルィリン。
島口は逆に昔よりも心がけて使うようにしているおかげで、姉たちからも一目置かれている。
しかし、、、、
日本語力の衰えは感じている。
いや日本語力だけではないのかもしれない。英語だって危なっかしい。最近は夫によく聞き返す。What? What did you say? 聞き取れなくなったのは加齢による聴力低下のせいか或いは認知力低下か、、、、。


先だって、「消火栓」という言葉を思い出させてもらった。友人が教えてくれたのだ。わたしはその言葉をすっかり忘れていて、Fire Hydrantと言っていた。というより、日本では見たことがなかったので、ないものだと思い込んでいた。だからそれに対応する日本語を探そうともしなかったのだ。しかし、形やシステムは違えど、日本にも確かにあるのだ、消火栓。補習校講師としてはいただけない。

今朝は「雄たけび」という言葉を見つけて、はっとした。最近、聞かない言葉。目にした時にはちょっと笑ってしまった。彼女は女性なのに「雄」叫び、なのか!とね。(ちなみにこれは、大坂なおみ氏の全豪優勝の記事。)
雄たけびを英語にすると、Battle roarとなる。roarだけでも良いのだけど、試合中の雄たけびなのでbattleがあった方が良いのかな。
でも雄たけび、って日本語、なんだか男性社会を示しているなぁ、とあらためて思う。



つらつらと書いているが、書きながらなんとなくわかったことがある。
それは、言語というものは見聞きして使わないと、やはり衰えるものだということ。
日本語に限っていうと、わたしの場合、昔に比べて本を読まなくなった。圧倒的に読む量が少ない。こうしてネットで日本の記事を読むくらいだ。やはり、本を読まないと「言葉」は廃れてくる。言葉は生きているものなのだ、と、なんとなく実感。
英語も同じだ。
職場でいつものメンバーと話すことなど限られている。だから通じる。家族間も同様。幅がないから今の自分の英語力でもOKなのだ。Sometimes, just O.K. is not O.K. というCMがあるがまさに。英語ももっと活字に触れ、もっと新しい世界に目を向けないと、このままでは頭打ちだ。
最後に島口。
島口は・・・・本音を言うと、英語よりも上達したい気持ちが強い。わたしは島口を流暢に喋れるようになりたい、と昔から思っている。願っている。だから、努めて島口で喋るようにしてきたし、耳をよーく開いて聴き取る努力もしてきた。島に帰るたびに、その思いは強まった。
母が亡くなって、しばらくその気持ちは少しばかりへこんでしまった。母ちゃんと島口でペラペラと喋ることが夢だったからね。でも、へたれてばかりもいられない。キバティクリヨーという声が聞こえるでしょ。きっとね。


歳をとるということはチャレンジです。

と、誰かが言った。
本当にそうだわ。

日本語も英語も島口も大事。

大事。