1/26/2019
消火栓と雄たけび
海外暮らしが長くなると日本語を忘れてしまう、というのは聞いたことがある。最初それは迷信だと思っていた。そんなことがあるかいな。
昔、進学だの就職だので島から出て行った若者たちが、帰省する時によく言ったものだ。
「忘れちゃって・・・もう島の言葉では喋れなくなっちゃったよ。」(と、もちろん東京言葉で言う。)
いやいやいやいや、忘れてなどいるものか。島口が出ないようにしているだけだろう。あなたがたは<心がけて>東京弁(?)を喋っているのです。
いつだったか、島口で話すわたしにある友人はこう言った。
「m、方言今でも使えるんだね、すごい。」(と、東京イントネーションで)
方言って・・・島口でしょ。島では方言なんて言わないでしょ。
忘れてなんかいません。そんな簡単には忘れません。
でもわたしの島口なんて本物じゃぁない。イントネーションが島のそれに近いだけのもの。生粋の島ユムタではない。それでも。
が、実際に日本語(というか島口)を忘れてしまったというケースがある。それは現代のように海外にいても日本語に触れられることが一切なかった頃の実話だ。
アメリカに移住してから一度も日本へ帰ることのなかったその画家は、故郷の有志たちにより50年ぶりだかに帰島、残っていた親戚らと対面した。しかし彼は島口をほとんど話せなかったのだそうだ。日本語を理解はしていたのだと思う、が、詳細はわからない。
これは、「海外暮らしが長くなって日本語を忘れてしまった」実例だ。
そこで自分はというと・・・
アメリカ暮らしも総計15年になってしまった。
今になって思うのが、約15年前、あんな英語力でよくまぁ仕事に就いたモンだ、ということ。若さって素晴らしい。怖いもの知らずとはこのことか。
そして、今でも日本語は忘れていないし、島口だってワスィルィリン。
島口は逆に昔よりも心がけて使うようにしているおかげで、姉たちからも一目置かれている。
しかし、、、、
日本語力の衰えは感じている。
いや日本語力だけではないのかもしれない。英語だって危なっかしい。最近は夫によく聞き返す。What? What did you say? 聞き取れなくなったのは加齢による聴力低下のせいか或いは認知力低下か、、、、。
先だって、「消火栓」という言葉を思い出させてもらった。友人が教えてくれたのだ。わたしはその言葉をすっかり忘れていて、Fire Hydrantと言っていた。というより、日本では見たことがなかったので、ないものだと思い込んでいた。だからそれに対応する日本語を探そうともしなかったのだ。しかし、形やシステムは違えど、日本にも確かにあるのだ、消火栓。補習校講師としてはいただけない。
今朝は「雄たけび」という言葉を見つけて、はっとした。最近、聞かない言葉。目にした時にはちょっと笑ってしまった。彼女は女性なのに「雄」叫び、なのか!とね。(ちなみにこれは、大坂なおみ氏の全豪優勝の記事。)
雄たけびを英語にすると、Battle roarとなる。roarだけでも良いのだけど、試合中の雄たけびなのでbattleがあった方が良いのかな。
でも雄たけび、って日本語、なんだか男性社会を示しているなぁ、とあらためて思う。
つらつらと書いているが、書きながらなんとなくわかったことがある。
それは、言語というものは見聞きして使わないと、やはり衰えるものだということ。
日本語に限っていうと、わたしの場合、昔に比べて本を読まなくなった。圧倒的に読む量が少ない。こうしてネットで日本の記事を読むくらいだ。やはり、本を読まないと「言葉」は廃れてくる。言葉は生きているものなのだ、と、なんとなく実感。
英語も同じだ。
職場でいつものメンバーと話すことなど限られている。だから通じる。家族間も同様。幅がないから今の自分の英語力でもOKなのだ。Sometimes, just O.K. is not O.K. というCMがあるがまさに。英語ももっと活字に触れ、もっと新しい世界に目を向けないと、このままでは頭打ちだ。
最後に島口。
島口は・・・・本音を言うと、英語よりも上達したい気持ちが強い。わたしは島口を流暢に喋れるようになりたい、と昔から思っている。願っている。だから、努めて島口で喋るようにしてきたし、耳をよーく開いて聴き取る努力もしてきた。島に帰るたびに、その思いは強まった。
母が亡くなって、しばらくその気持ちは少しばかりへこんでしまった。母ちゃんと島口でペラペラと喋ることが夢だったからね。でも、へたれてばかりもいられない。キバティクリヨーという声が聞こえるでしょ。きっとね。
歳をとるということはチャレンジです。
と、誰かが言った。
本当にそうだわ。
日本語も英語も島口も大事。
大事。
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