1/31/2019

Deadly Cold






半端ない寒さ。
暖冬と言われていたのが嘘のよう。
Bitterly Coldでは済まない、Brutally Cold 否、Deadly Coldがふさわしい。
我が学区は火曜日から3日間休校措置が取られた。驚いたことに、先に発表されたのが我が街の大学だった。大学が休講する(しかも3日間)なんてこと、前代未聞だ。以前、娘がこの大学に通っていた頃、大学は絶対にクローズしないと嘆いていたのを思い出す。
ちなみに8時現在の気温は-26°F(-32.2℃)wind chilは-40°F(体感温度-40℃)。今朝起きた時から殆ど気温が上がっていない。でも太陽が上がってきたので、これから少しはマシになるだろう。


姉は「家から出ないで済むなら最高じゃ」と言った。確かにそうだ。
が、一昨日はデューイがBackyardの真ん中あたりでじっと座ったまま動かなくなり、迎えに行かなくてはならなくなった。彼は耳が遠くなってしまったので、ドアのところから名前をいくら呼んでも聞こえていない。また、こちらを向いている時に大袈裟に両手を上げて振ってもどうやら見えていないらしい。しょうがないので、ニット帽をかぶって厚手のコートを着込み手袋を装着、スノーブーツを履いて迎えに行った。わたしが近づくとようやく、ああ、という表情。凍え死ぬよ!と言いながら連れ帰ったこと2度。
なので昨日は頃合いを見て最初から一緒にbackyardへ出た。どのみち散歩へ行けるような気温じゃないし、poop拾いをしながら少し遊ばせた。が、さすがに5分程度しか持たない。犬たちもそれで充分そうだった。それくらい、寒い。マフラーで顔を覆うべきだった、呼吸をすると肺がキンと冷え込むのがわかった。


室内は暖かいから寒くても割と平気。
と、良く言ったものだが、この3日間はセントラルヒーティングの限界を知った。特にmain floorはオープンになっているので暖まりが悪いようだ。寝室の方が数倍、暖かい。どうにも我慢できなくなり、一時的に設定温度を上げた。かつ、暖炉にも火を入れる。こんな時にやせ我慢したってねぇ、、、、と、自分に言い聞かせる。この地へ来て10年、こんなに寒いと感じるのは初めてだ。


日本に住んでいた頃、ストーブのある部屋から出るのが苦痛だった。
キッチンへ何か取りに行くのも寒くて億劫だったし、トイレへ行くのでさえギリギリまで我慢する始末。
そんな中、ストーブの灯油切れは一大事だった。誰が灯油を入れに行くか?わたし達はじゃんけんで決めたものだ。勝者はガッツポーズで喜び、敗者は悪態をつきながら泣きながら灯油を入れに行く、「早く早く〜」という声に推されながら。
寝る前には寝室のスペースヒーターを時間予約でオンにし、電気敷布で床を温めた。
早朝、娘はヒーターの前で制服に着替えていたっけ。「そんなに近づくと焼けるよ!」


こうして思い返すと、やっぱりママゴトみたいな暮らしだった、、、。笑い話だ。



大寒波はとりあえず今夜までの様子。午後から雪になるようだが、気温が上がるのなら文句は言えない。
明日は金曜日。月曜以来の出勤。2月が始まる。

















1/26/2019

消火栓と雄たけび






海外暮らしが長くなると日本語を忘れてしまう、というのは聞いたことがある。最初それは迷信だと思っていた。そんなことがあるかいな。


昔、進学だの就職だので島から出て行った若者たちが、帰省する時によく言ったものだ。
「忘れちゃって・・・もう島の言葉では喋れなくなっちゃったよ。」(と、もちろん東京言葉で言う。)
いやいやいやいや、忘れてなどいるものか。島口が出ないようにしているだけだろう。あなたがたは<心がけて>東京弁(?)を喋っているのです。
いつだったか、島口で話すわたしにある友人はこう言った。
「m、方言今でも使えるんだね、すごい。」(と、東京イントネーションで)
方言って・・・島口でしょ。島では方言なんて言わないでしょ。
忘れてなんかいません。そんな簡単には忘れません。
でもわたしの島口なんて本物じゃぁない。イントネーションが島のそれに近いだけのもの。生粋の島ユムタではない。それでも。



が、実際に日本語(というか島口)を忘れてしまったというケースがある。それは現代のように海外にいても日本語に触れられることが一切なかった頃の実話だ。
アメリカに移住してから一度も日本へ帰ることのなかったその画家は、故郷の有志たちにより50年ぶりだかに帰島、残っていた親戚らと対面した。しかし彼は島口をほとんど話せなかったのだそうだ。日本語を理解はしていたのだと思う、が、詳細はわからない。
これは、「海外暮らしが長くなって日本語を忘れてしまった」実例だ。




そこで自分はというと・・・
アメリカ暮らしも総計15年になってしまった。
今になって思うのが、約15年前、あんな英語力でよくまぁ仕事に就いたモンだ、ということ。若さって素晴らしい。怖いもの知らずとはこのことか。

そして、今でも日本語は忘れていないし、島口だってワスィルィリン。
島口は逆に昔よりも心がけて使うようにしているおかげで、姉たちからも一目置かれている。
しかし、、、、
日本語力の衰えは感じている。
いや日本語力だけではないのかもしれない。英語だって危なっかしい。最近は夫によく聞き返す。What? What did you say? 聞き取れなくなったのは加齢による聴力低下のせいか或いは認知力低下か、、、、。


先だって、「消火栓」という言葉を思い出させてもらった。友人が教えてくれたのだ。わたしはその言葉をすっかり忘れていて、Fire Hydrantと言っていた。というより、日本では見たことがなかったので、ないものだと思い込んでいた。だからそれに対応する日本語を探そうともしなかったのだ。しかし、形やシステムは違えど、日本にも確かにあるのだ、消火栓。補習校講師としてはいただけない。

今朝は「雄たけび」という言葉を見つけて、はっとした。最近、聞かない言葉。目にした時にはちょっと笑ってしまった。彼女は女性なのに「雄」叫び、なのか!とね。(ちなみにこれは、大坂なおみ氏の全豪優勝の記事。)
雄たけびを英語にすると、Battle roarとなる。roarだけでも良いのだけど、試合中の雄たけびなのでbattleがあった方が良いのかな。
でも雄たけび、って日本語、なんだか男性社会を示しているなぁ、とあらためて思う。



つらつらと書いているが、書きながらなんとなくわかったことがある。
それは、言語というものは見聞きして使わないと、やはり衰えるものだということ。
日本語に限っていうと、わたしの場合、昔に比べて本を読まなくなった。圧倒的に読む量が少ない。こうしてネットで日本の記事を読むくらいだ。やはり、本を読まないと「言葉」は廃れてくる。言葉は生きているものなのだ、と、なんとなく実感。
英語も同じだ。
職場でいつものメンバーと話すことなど限られている。だから通じる。家族間も同様。幅がないから今の自分の英語力でもOKなのだ。Sometimes, just O.K. is not O.K. というCMがあるがまさに。英語ももっと活字に触れ、もっと新しい世界に目を向けないと、このままでは頭打ちだ。
最後に島口。
島口は・・・・本音を言うと、英語よりも上達したい気持ちが強い。わたしは島口を流暢に喋れるようになりたい、と昔から思っている。願っている。だから、努めて島口で喋るようにしてきたし、耳をよーく開いて聴き取る努力もしてきた。島に帰るたびに、その思いは強まった。
母が亡くなって、しばらくその気持ちは少しばかりへこんでしまった。母ちゃんと島口でペラペラと喋ることが夢だったからね。でも、へたれてばかりもいられない。キバティクリヨーという声が聞こえるでしょ。きっとね。


歳をとるということはチャレンジです。

と、誰かが言った。
本当にそうだわ。

日本語も英語も島口も大事。

大事。







1/25/2019

ユメモ・aphorism





犬たちをBackyardに出そうとしたら、斜め向かいの家の人が彼らの愛犬を庭に出していたので、どうしたもんかとドアを開けられずにいた。
するとぶるーすが早く開けてくれと言うようにそわそわし始めた。そして、(見える筈がないのに)彼のお尻の穴がぶわぶわと膨らみ始めたので、慌てて階上へと連れて行った。
のだが・・・悲しいかな、間に合わなかったようだ。
駆け上がった先、ガレージへと続くドアのところで、ぶるーすは用を済ませてしまった。彼が粗相をするなんて余程のこと。怒る気にはならない。


ロールペーパーでブツを取り、main bathroomへ。両手の塞がったわたしは呑気にやって来た夫にトイレの蓋を開けてくれ、と頼んだ。へいへいと夫がトイレの蓋を上げると・・・
なんとそこには流されていないものが、、、、
ブチ切れそうになりながら、早くフラッシュしてよと叫ぶ。が、夫は一緒に流すよと言わんばかりの表情でわたしを見ている。

まずは<それ>を流して!!
流す前に蓋閉めてよ!!




この後、晴れてぶるーすのものも始末できたのだろうが、夢の記憶はここで止まっている。そこで目が醒めたのかもしれない。



先日、友人夫婦とランチへ行ったおり、なぜか「我が家のルール・トイレの蓋編」についての話題になった。娘がなかなかそれを実行出来なかった、というもの。なんでそんなろくでもない話をしてしまったのか、、、、思い出すだけで恥ずかしい。
彼女のご主人からは「そもそもどうしてトイレを流す時に蓋をしなければならないと思ったんですか?」と訊かれた。「目に見えない汚物の粒子が飛び散るらしいですよ。」わたしは真顔でそう答えたのだが、一つ思い出したことがあって付け足した。
いっちばん最初に「トイレの蓋を閉めようよ」となったのには立派な理由があった。
我が家の犬第1号であるぶるーす。
彼はトイレの蓋が開いていると、そこから水を飲む悪習があったのだ。
「トイレの蓋閉めてってば!また、ぶるーすが水飲んでたわよ!」
そうだった。それが元々の始まりだったのだ。
友人夫婦は、なるほど、それなら話はわかる、といった顔をしていた。汚物の粒子飛散論では納得できなかったらしい。



そうか。今、わかった。
だからぶるーすが登場したのか。。。


ぶるーすはこの家に来て間もなく亡くなった。
引っ越し前から体調を崩していたが、引っ越し後はいよいよ動けなくなり、ほとんど寝たきりの闘病生活だった。だから、階下のbackyardへ向かうドアへは行ったこともないし、庭に出ることさえ出来なかった。

夢の中でぶるーすは相変わらず一番大きくて、そしてとても元気だった。尻尾のないお尻をフリフリさせて、庭へ出せ、庭へ出せ、と、目をキラキラさせながらはうはうしていた。デューイもコズモも、ぶるーすの後方にいて、ぶるーす兄ちゃん健在!って感じだった。



友人は彼女自身のことをアホリズムと名乗っている。わたしの大好きなバカリズムから取ったのか、と思ったが、彼より先に名乗っているのだと言う。自分の氏名をいじってのものということで、言葉遊びのようなものだった。聡明でありながらユーモアのあるお人なのだ。彼女はこうも言った。「aphorismにも似ていて良いかな、って。後付けだけど。」

かかか、かっちょえええええええ!

いやいや後付けじゃないでしょう。さすがです。素晴らしい!!


わたしはすっかり彼女のことが大好きになってしまった。ご主人もまた然り。なんて知性溢れるご夫婦。ふたりともわたしみたいにわちゃわちゃしてなくて、ものすごく自然体。ものすごくクール。



そんなお二人に会って三日後に見た夢がこれでした。
夢にはなにやら隠された意味があるのか?いや、意味なんてない。見て、楽しんで、こうやって思い出して書いておけば、後になってからも味わえる。それが夢です。

そして、「トイレの蓋を閉める」は、我が家の格言であります。これ、後付けですが。
















1/23/2019

cold hives





まさかの5連休。Yay!!
月曜日はMLK.Jr.Day の祝日休。昨日と今日はSnow Day、尚且つ土曜日の補習校も悪天候による休校措置が取られ(実は2週連続!)、なんと土日月火水とお休み。こんなことって、滅多にない。ブラボー中西部やったぜベイビー!ここらに住む連中はみんな雪とか寒さとか嫌がるけど、気持ちはもちろんわかるけど、やっぱりわたしは好きだなぁ。寒冷地、最高でっす。


でも自分、寒冷蕁麻疹に気を付けなければならない。以前から、そういう傾向はあったのだけれど、実は月曜日、これまでにない大きな範囲で蕁麻疹が出た。服を脱ぐまで気付かなかったのだが、目にした途端にぼわわ、、と、余計に膨らむような気がしたくらいの膨隆疹だった。場所は両大腿全面〜膝までと、顔の両耳下部から顎にかけて。
考えてみると、他の部位より冷気にさらされた部分だった。犬たちを散歩へ連れて行った時だ。一番暖かいロングのダウンジャケットを着て行って安心していた。実際、我慢できないほどに寒い!という感じはなかった。が、ちょうど蕁麻疹が出た部分はジャケットで覆われていない部分だった。膝下はスノーブーツだったので大丈夫だったのだろう。体躯ばかり気にして、long johns(いわゆるズボン下ね)を履かなかったのが良くなかった。やっぱり寒冷地なのだ。気を付けないと。

この蕁麻疹、見つけてすぐにBenadryl(抗ヒスタミン剤)を服用し、ひまし油を塗って安静にしていた。それから、その部分の写真(万が一医者にかかった時のために、と撮影)を夫に送って泣きついた。「犬たちを散歩に連れてったらこんなことになったよう。」

すると夫、「こんな気温では気を付けないと凍傷になってしまうよ」と言う。あ、そっか。もしかするとこれは蕁麻疹ではなく、凍傷か???
正直、凍傷という発想はなかった。曲がりなりにも直接冷気に触れたわけではなく、服で覆われていたのだから。しかももうBenadrylを服用した後じゃないの。

でも、落ち着いて考えてみると、凍傷だとしたらとりあえずその部分のケアをすれば良いだけのことだ。ひまし油は間違っていない。この先もし水疱でも出来たら、それはその時に考えよう。見た目、組織損傷は浅い。蕁麻疹だと、見るだけで酷くなりそうなので、しばらくは確認したくない。不思議な話、アレルギー反応というのは精神的なものもかなり作用してくる。これは経験済み。


それから2時間くらいして、恐る恐る患部を見てみたわたし、ほっと一安心。膨隆疹は消え去り、ところどころ赤い発疹がまだらのようにあるだけだった。やーっぱり蕁麻疹だったんだな。ふぅ〜っBenadrylのんどいて良かったよ!
顔の方はもっと改善されていた。ほとんど、発疹らしきものもなし。


それにしても、今回は大いに勉強になりました。まず、自分は正真正銘の寒冷蕁麻疹体質だということ、そして、寒い日の散歩には肌をなるべく露出しないようにする、袴下を着用する。予防が大事。一旦蕁麻疹が出ると、快方するまで時間がかかる。それに、もちろん、辛い。


これまでにも冬場の散歩後、頬や顎にボコボコと2-3cm大の膨隆疹が出たことが数回あったが、やはりあれも寒冷蕁麻疹だったということだ。そういえば、同じ症状が、たま〜に魚介類の加熱が不十分で生っぽいと出たことがある(基本的に生モノは食さない)。これは飲んでいる時だと余計に悪いようだ。あまり気にしないようにしてきたが、よくよく考えると過去に数回あったな。あーヤバイヤバイ、こちらも気を付けないと。




母は肌が弱かった。
パーマをかけるのを諦めたのは、頭皮がパーマ液に過剰に反応するようになったからだった。母はしばらくはそのアレルギー症状に対抗して我慢していたけど、とうとう諦めざるを得ないほど、症状が悪化したのだった。
下着のゴム痕も日常茶飯事。襟の後ろ側にあるタグは必ず切り取っていたし、襟首に(勝手に)ハサミで切り込みを入れてさらに緩くもしていた。歳をとるとそれらはさらに酷くなり、痒み止めは必需品。肌の保湿のためにオイルやローションも塗っていたけれど。

長兄は太陽光蕁麻疹だそうだ。そんなのあるの?と笑ったものだが、夏場、兄はせっせとアームカバーをつけ、首にタオルを巻き、長ズボン姿で散歩へ出かけていた。「蕁麻疹が出ると後が大変なんだよ。」

弟は寒冷蕁麻疹だそうだ。見たことはないが、随分前にそう言っていた。「酒の飲みすぎなんじゃないの?」と冷やかしたものだが、まさか自分もそうなるとは。

髪染めに酷い反応が出てもう髪を染められない姉もいるし、エビ・蟹を食べられない姉、そば粉アレルギーのある兄もいる。これら全て、母から受け継いだものなのか???



2年前か3年前の年末、かなり酷い全身蕁麻疹が出た。この時はやむなく医者の世話になった。Benadrylだけでは(しかも3回は服用)効かなかったからだ。原因不明と言われたが、トリガーになったのは、キムチ鍋のコチュジャンもしくは義妹からもらった新しい服、と、思っている。


そういえば、あれ以来、キムチ鍋を食べていない。










1/21/2019

K事件






Hatena日記さんからメールが届いた。
はて?はてな、とな???と、ちょっとわざとらしいが、最初は(本当に)何故こんなものが届くのかわからなかった、リンク先に跳ぶまでは。

そこで思い出したのだ。
そうだったそうだった。
はてな日記を以前お借りしてたのでした。

リンク先には、引っ越しします、という記事。
はてなさんのところに広告が出るようになったから、と書かれている。(そして、その引っ越し先がここだったらしい。)
もう随分前のことだ。すっかり忘れていた。
いや、こうやって書くことさえもすっかり忘れている自分。


さっき、何か書くか、と設定ページ(と言うのかな?)に行ってみたら、ドラフトに何か残っていた。タイトルは 「First Day of School 」。書いたのはどうやら2018年の8月らしい。3行くらいで止まっていた。
顔本に行ってみたら、First Day of School! のポストがわんさか、もちろん子供達の誇らしげな写真とともに、というやつ。あ〜わたしも昔は娘の写真を撮ってたな〜〜〜なんてことを思い出した。のかもしれない、ちょっとばかりの気恥ずかしさとともに。


顔本。Face book.

今、わたしは顔本のアカウントを休止している。永続的に休止、のつもり、とりあえず。
煩わしさはあった。
2年くらい前かな?職場の同僚が職場用のグループメッセージを作成した辺りから。
ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しようもないメッセージがじゃんじゃん入ってくるのだ。
しかも人数が多いもんだから、その、ど〜〜〜〜〜〜〜〜しようもないメッセージにど〜〜〜〜〜〜〜しようもないコメントをする奴がわんさかいる。その度にシャンシャンわたしの携帯の画面に「メッセージ来ましたぜ」の文字列が並ぶ。携帯のサウンドは常にオフにしているので音は出ない、それでもウザい。しばらくは無視していたが、そのうち我慢できなくなって、その「メッセージ来てますぜ」ってやつをオフにした。かなり、セーセーした。解放感。
翌日、同僚たちから「メッセージ見た?」と聞かれた時には「知らん。オフにしとったから。」と答えた。問題なし。重大なメッセージがあったとしても、別に命に関わるものではない。しかも、わたしに超関係のある件であれば、メッセージでなくとも電話なりtextなりで連絡が来るのだ。大抵のものは次に職場で会う時に耳にする、で、充分事足りる。

そんなこんなでやり過ごしていた顔本だったが、ある日、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しようもない事件が起きた。
同僚Kからわたし宛にメッセージが来た。グループメッセージではなく、個人的なもの。
明日また休むのか?(彼女は体が弱いのだ)と思ったわたしは、そのメッセージを開いてみた。
らば。
らばラバらば。
これがもう、ど〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜しようもないコピペのメッセージだった。


内容。

m(←わたしの名前)、あなたから<また>フレンド申請が来たの。
絶対スパムだと思ったから無視したけど。
あなたのアカウント乗っ取られてるっぽいよ。
セキュリティ強化が必要ね。


はぁ????? あり得ん。

セキュリティはもう随分前から「最強力」とされているやつに設定済みだ。
わたしは同僚に顔本メッセージではなく、textでこう返した。
「ね、あなた本当に<実際に>わたしからのフレンド申請が、今、来たってこと?」

この同僚、ちょっとしたことですぐ嘘をつくことで有名なお人だ。なので、単刀直入に訊いた。イエスかノーか、さて、どう出る?
と、Kの返事はどっちでもなく、否、どっちともとれるものだった。Kはそこで、訳のわからんことを説明しだしたのだ。
「もう一度訊くけど、実際にわたしから申請があったってこと、なかったってこと?」
すると、Kの返事はイエス、と来た。

うわーーーー
もう、どう〜〜〜〜〜〜〜でもいいわ!

と、ここでわたしはブチリと切れました。
めっちゃコピペのあの文章で(Kにあんな理路整然とした文章が書ける筈がない。文体もKのものとは全然違うし)、平然とイエスと言っちゃうなんて、もうちゃんちゃらおかしくてやってられんわい。

「わかった。ありがとう。ぶっちゃけ顔本にはうんざりしてたところだからアカウント消すわ。」
KにそうtextするとKは慌てて
「消さなくても大丈夫!セキュリティ設定を強化すれば問題解決よ!わたしもそうしたの!そしたら全く問題なしになったから!」
「いや、セキュリティ最強になってるから、既に。いいのいいの。顔本信用ならんから。」

ってことで顔本を消してから・・・・かれこれ3-4ヶ月か?


最初は「あ、顔本なくなったんだった。」と、事あるごとに思ったものだが、今ではもう顔本なしが当たり前の生活。ろくでもない職場のグループメッセージは来ないし、ゴシップにも見ざる聞かざるで済む。最高スッキリ。
ある同僚たちからは、m、もしかしてわたしのことアンフレンドした?とか聞かれたものだが(タグ出来なかったとかなんとかで)、顔本アカウント消したから、と言うと、ええええ!?なんで????と、驚かれたが、今ではもうみんなが知ってる。mは顔本してないものね〜と。いいわ、これ。マジすっきり。



ついこの前、めちゃくちゃ笑えることが起こった。
新しく入った職場の若い子から、「m、顔本のフレンド申請したいんだけど、いい?」と訊かれたのだ。
「あ、駄目だわ、わたし顔本やってないから。」
すると彼女、目を大きく見開いて「なんで????」と叫んだ(本当に、叫んだのだ)。
そして、こう言ったのだった。


「じゃぁm、どうやって他の人の生活を見るの???」


目が点になった。そして、笑った。大笑いだ。
面白過ぎる。そっかそっか、そうだよな。顔本をしている人たちの真髄はそこのところにあるのだなぁ。

「他の人の暮らしぶりをチェックする」

なるほど。だから顔本ちゅうのは煩わしいんだな。だから自分は今こうもすっきりしとるんだな。



そういう意味では、あの「K事件」には感謝すべき、であろう。わはははは。